徒然

もやもやがき

「もやもやがき」という読み物が、小学校の時の道徳の教科書に載っていたのを、ふと思い出したので。

道徳の時間って嫌いでした。

何だろう、偽善をプログラミングされるような。
良い子でいて貰うことで都合がいい人達がいて、良い子でいることで楽な人達がいる。

まぁそれはさておき、私は偽善が嫌いなのです。

自分の気持ちに正直に生きることって大事なことで、どこか抑え込むと別の場所で歪みが出るものだと思ってます。

歪みが出てることに気付かない場合も多々あるのが、厄介なところ。

何で抑え込むかって、自分が自分で醜い自分を認めたくないだけ。
人間というのは、人のためだよと言いつつ、自分のためであることの何と多いことか。

本来人間というのは自分のことしか考えないもので、だって自分を守れるのは、幸せに出来るのは、本当の意味で自分しかいないからです。
でもそのためには、醜い自分も受け入れる必要がある。そして責任も伴います。

私は鎧を被らなければ生きていけない所では、生きないことにしています。
いや、わざわざそんな風に思ったのは初めてですが、思い返せば、そんな風にして生きたいと思ってきました。

今の日本で、鎧を被らなくて済むところがあるのかという疑問が湧いてきたりもしますが、つまりは自分が自然体でいられる場所を大切に、自分に与えられた使命を全うすることです。

自然体でいることで、そういった場所と生き方を選ぶことで、人間の性質ってよりはっきり見えて来るのだと思います。

そして、それがわかって来るほど、幸せになれそうな気がする。

私は今も結構幸せなのですけどね。
でも、私は自分の音楽で人を幸せにしたり、この世に息づいている万物やその感情の多彩さを感じて欲しいので、人に影響をもたらすにはまだまだ足りないのです。

また、自分で自分の性質をわかっているようで、忘れていたりしますので。

先日、最近知り合った友人から、瀬戸川さんは宇宙人だと言われました。

恐らく、私にそう言いたかった人は、今までの人生で沢山いたでしょうに、面と向かって言われたのは初めて。

それはその友人も宇宙人だったからなのですが。地球外生命体は、仲間の前で初めて正体を明かすのですね。笑

そうか、薄々勘付いていたけれども、やはりそうだったか、と私も思って、ありのままに宇宙人然として生きる決意をしました。

何を言っているのだか、わからない方もいると思いますが、敢えて宇宙人の内容には触れず。

そう言えば、私が宇宙人なのか地球人なのか、特に気にしていないのがうちの主人です。いや、気付いていないだけなのか。

彼の性格的に、妻が宇宙人だったと知っても、もう、今更しょうがない、といったところでしょうか。

…それとも、もしかしたら、主人も宇宙人なのかもしれません。

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