徒然

妊娠①

PC環境も整ったことだし、ずっと記しておきたかった妊娠、出産について少しづつ書いていきたいと思います。

こんな、誰でも見ることの出来るインターネット上で、超個人的な出来事を書かなくてもいいじゃないかとも思うのですが、
私は自分の妊娠中、いろんな人の妊娠記に励まされ、勉強し、過ごすことができたのです。
アメブロとかじゃないので見る人は少ないかもしれないですが。

もちろん匿名の方のほうが多いですが、私は仕事柄、裏方と言えども名前を出して仕事をしていますし、今更このことだけについて匿名にするのも面倒ですので、
息子のプライバシーに配慮しながら書かせてもらおうかな、と思います。
息子との記憶を辿って、形にする時間の醍醐味もあります。

私はこちらでも書いていますように、2017年9月からフリーランスで仕事を始めましたが、妊娠発覚はその年末でした。

子どもは以前から考えていましたけれど、フリーになってお仕事が安定するまでは、少し傍らに置いていました。
なんですが、女性は子どもを授かるのにはリミットがあるもの。早いほうがいいこともわかっていたので、直ぐ授かる確証はないし…と思っていた矢先の妊娠でした。

よくある、働く女性が妊娠出産時の身の振り方について悩むという経験を、私もすることとなったのでした。
私の場合は独立が絡んでいたので少しケースが違うかもしれませんが、悩んでいる最中に授かったのは、かえって良かったと今では思っています。

以前バレエ団グループに所属していた時は会社員でしたが、忙しい職場でしたので、授かるのも大変でしょうが授かってからも大変な状況を見ていました。
ただ、妊娠した女性は身体の感覚が変化するので、身重の自らを受け入れざるを得ず、子ども第一に腹を据えることが出来るのでしょう。私も少なからず実感しました。

そうは言っても、受けた仕事を断るのは嫌でした。
産まれるまでは十月十日ありますし、安定期に入るまでは人に話すのも…という思いもあり、いつも通り仕事に行っていました。

…が、来てしまったんですね、悪阻が。
もう記憶が薄れていっていますが、確か6週くらいから既に気分が悪かったんですよね。
吐くほどではないのですが、身体は熱く(妊娠発覚時から身体は熱かったですが)、気持ちが悪い。

身体は熱いのですが、寒気はすごい。
そして真冬。

しんどかったですね…今だから言えますけど。
2月の一番寒い時期には悪阻がピークを迎えていました。

吐いても吐いても気持ちが悪く、もう吐くものがなくなっても気持ちが悪い。
身体のどこの汁かおよそわからない、緑色の液体まで吐きました。

食べなくても気持ち悪いのですが、食べても吐いてしまうので、一番ひどい時期には水さえ飲んだ瞬間に吹き出す始末でした。

8~9週が悪阻のピークだから、と先生に言われても収まる気配はなく、振り返るとピークは13~15週くらいで、20週過ぎても気持ち悪かったです。
悪阻が終わった人のblogを見て、ひたすら耐えていた時期でした。

うーん、今思い出しても気持ち悪いですね。ちょっと気持ち悪い話から離れましょうか。

途中風邪をひいたりして後鼻漏になり、嘔吐の名残とお腹の圧迫で逆流性食道炎のようになり、唾液過多で常に吐き出しているような状況で、
ピークを越えてもなんともすっきりしない妊娠中でした。

妊娠は病気ではないとよく言いますが、病気かどうかなんてどうでもいいことですよ。
個人差はかなりありますけど、しんどい人にはしんどい。
私は人に、二日酔いでインフルエンザに罹ったような感じだと説明していました。

ああ、自分のblogなのをいいことに、当時の記憶が蘇って、感情のままに書いてしまいましたが。

結果的に、もうどうにもしんどくて起き上がれなくなる日がとうとう来てしまった時に、仕事をお休みしました。
はたから見たら、早く言ってくれといった感じだと思いますが、言えなかったんですよね。

でも、受け入れていただくことが出来て、そのきっかけで主人にもしんどいと言えて、仕事一時減らさせていただきました。
沢山の方に配慮していただいて、無事に乗り越えることが出来ました。

なので、私はこと悪阻に関しては理解がめちゃくちゃあります。
経験者にしかわからないとはまさにこのこと。

自分が妊婦でなくなると、なぜか妊婦さんをあまり見つけられなくなるのですが、
見かけたら背中にエールを送っています。

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